「キスと微熱」 零れ落ちるのは、仰々しいため息ばかり。 それは履き慣れない靴に、あっさりとマメを作ってしまった自分の不甲斐なさに対して。 普段の戦装束用にあつらえた靴ならば、こんな無様なものなどこさえはしないだろうが、今日は休暇。ついつい女物の服を選んでしまうのは、ひとえに”愛しい君主”殿のため。 何だって女はこんな不安定で、締めつけるような物を履くんだ。胸中で毒づいてみるものの、選択したのは己自身なのだし、発散出来ない怒りは溜まるばかりで。 ジュリアンは再び大仰なため息をついてしまう。 待ち合わせをしよう。そう言われて赴いた彼の領地が抱える森。その中央部辺りにある泉に到着したのは予定の一時間前。逢瀬の現場をあまり人に見られたくないと思ってしまうのは、十年近く男として生きてきた悲しい性。習慣は根強い。 情けなさが至る個所で膨れ上がるが、とにかくこの痛みをどうにかしなくては。ヒールを脱ぎ捨て、泉の脇に座りこむと、ジュリアンはゆっくりと足を水に漬ける。 季節はそろそろ夏を迎え様かと言う頃。冷たい水が酷く気持ち良かった。そう言えば、子供の頃にやんちゃが過ぎて、館の庭池に飛び込んだ日のことを思い出す。幸いと言うか父は不在で、乳母から随分としぼられたものだ。 こみ上げる笑みを止められず、ジュリアンは暫くそのまま足を水の中で揺らめかせながら、思い出に浸る。 こんな穏やかな時間を、どうして今まで忘れていられたのだろう。ゆらゆらと揺れる水面は、細波を作っては光を弾いていた。 夢現の時間は、だが呆気ないほど短い時間で終わってしまう。背後から届く軽い口笛。次いで続く「絶景かな」なる呟きに、ジュリアンは太股辺りまで引き上げていたスカートの裾を慌てて引き下げていた。 動揺とはかくも恐ろしいもので、普段なら何気なく終わるはずの行動でさえ余計な反動を呼び起こす。 「え…あぁ！？ わ…と…っ！！」 多分、何か言いたかったこともあったのかも知れないが、動揺に手足を過分にバタつかせてしまい、当然のように崩れる身体のバランス。ただ単に泉の淵に腰掛けていた体制も災いして、奇妙な声を挙げたきりジュリアンはそのまま泉の方へ…。 「ジュリアン！！」 これで動かなかったら男が廃る。何より原因はいきなり声をかけてしまった自分になるのだから。 愛しい人のなま足の誘惑に負け気配を殺して近付いてしまったことを後悔しつつ、精一杯伸ばしたリューンの手が、何とかジュリアンを捕らえはした。 が…、 当然と言えば当然なのか、四肢をバタつかせる人間一人を片手で支えることなど、相当マッチョな人間でもなければ無理な話なのである。そのまま二人仲良く泉へと誘われてしまった。 激しく波打つ水面。大量の泡。静寂の森は、一気に滑稽なほどの騒がしさに満たされてしまう。 それでもさすがにそこいら辺の民間人とは出来が違う。二人は程なく水面へと浮上。幸いにも胸元が僅かに沈む程度の深さで底に足がつき、弾みで飲んでしまった水に咳き込みながらも新鮮な酸素にありつけていた。 咳き込みやら呻き声やら意味不明な音が暫く続けば、当然その次ぎは怒涛のような沈黙に変わる。特にジュリアンなど、怒りとも泣き顔ともとれる表情を浮かべたままだ。 リューン、久方振りの大失態。 「ゴメン…！」 これが第一声でなければ、詐欺だろう。 水を弾く勢いで両手を合わせ、目を閉じたまま再度ゴメン！ を繰り返す様に、ジュリアンは深々ため息をついてしまった。 「……良いですよ…もう…」 自分も、あんな格好をしてたのが悪いのですし。そう続け、盛大に水を吸った髪を掻き揚げる。一体何のためにおめかしなんぞしたのだろう。お互いの濡れネズミな姿に、ジュリアンはこみ上げる笑いの衝動を押さえるので精一杯だった。 「にしても、どうするですか？ この格好…。風邪をひいてしまいます…」 「俺は別に大丈夫だけど…、さすがにジュリアンはなぁ…」 情けない表情で乱暴に髪を掻く仕草は、本当に困っている時のクセ。こう言う時の「女性として」扱ってくれる瞬間は、実は嫌じゃない。それだけ愛されている証拠なのだと、最近ようやく自覚出来たから。 ジュリアンは最後の区切りと再びため息をつき、ふ、と表情を和らげて見せる。 「じゃあ、残念ですけど今日の予定は総てキャンセル。お屋敷の方で服を乾かさせて頂いて宜しいですか？」 「…そうだな。…ホントにゴメン…！」 「お互い様ですよ。これ以上謝るようだったら、本当に怒りますよ？」 内容とは裏腹に、零れるものは笑みばかりで。 纏わりつく濡れた服の感触が居心地悪いのも手伝って、ジュリアンは水を掻き分け岸へと移動し始めた。だが、その身体は不意に抱きしめられるままに動きを止め、背中一面で感じるリューンの気配。 「リュ…？」 振り返ろうとした緩慢な動きを利用され、水中で伸ばされた手が腿を一纏めにしたかと思うと一気に身体を抱え上げていた。 「え…？ ちょ…リューン！？」 浮力で軽々と持ち上がる身体。暴れる動きを器用に流し、リューンはそのまま腕の上に座らせるようにジュリアンを固定する。 ほぼ同じくらいの身長であるため、ちょうど頭一つ分高くなるジュリアンの目線。抱きかかえられた事で羞恥が呼び起こされ、赤みを帯び始める頬と、戸惑う瞳。 「…ジュリア…」 見上げてくる視線は、これ以上ないほどの優しさを湛えている。不思議と、穏やかな気持ちでその視線を受けとめることの出来る自分に、ジュリアンは正直驚きさえ感じていた。 「なぁ…キスしてくれないか…？」 そんな唐突な言葉にさえ、鼓動は高鳴るどころか一層落ちつきを取り戻させる。 酷く、静かな時間。酷く、円やかな時間。 半分は無意識だったのかも知れないが、それでもジュリアンはそれが当然の儀式のように、柔らかく手をリューンの頬に触れ合わせていた。 上体を支えるために肩に手が添えられ、ゆっくりとした仕草で傾ぐジュリアンを、リューンは瞳を閉じで待つ。 掠めるように一度。それから今度は、確かめるように押し当てられる二度目の口唇。 悪戯にリューンの舌がジュリアンの下唇を辿ると、微かにふるり、と身体が震えるのが全身で感じられた。 「……水の味がする…」 「…誰の所為だと思っているんです…？」 吐息が掛かるほどの距離。これが、二人の距離。同時に零れた二人の忍び笑いは、三度目の口付けに呑み込まれてゆく。 貪るような激しさなど欠片もない。それから暫くの間続いた口付けは、幾度も角度を変え呼吸を合わせ、溶け合うような優しさで。 感じるのは、互いの体温だけ。聞こえるのは、息継ぎの合間の吐息だけ。感覚だけが冴え渡ってゆく錯覚。 口唇を合わせたまま身体を支えていた腕は緩められ、浮力を利用して自然に落ちて来るに任せて再び抱きしめる。水が、二人を抱きしめる。 「…そ…そろそろ戻りましょう…っ」 口付けが解かれ、正面から見詰められた瞬間に、ジュリアンの頬が面白いほどの勢いで紅潮していた。 「ジュリア？」 「風邪をひく前に…――――…熱が出そうです…」 語尾は小さく、うっかりすれば聞き漏らしそうな音だったのだが、それでもリューンの相好は見事に崩れてしまう。英雄と呼ばれる男も、惚れた女性の前では形無しで。 結局、今日のスケジュールは総て台無しになってしまったが、正直なところ一緒にいることが一番重要なのだと、そんな他愛もないことを再確認しただけの一日…。 ■ ＥＮＤ ■ |
憧れのSailお師匠のお話を飾ることが出来て幸せです〜。
しかも、らぶらぶのいちゃいちゃだ〜〜(喜)
とくにナンカしてないのに読んでて赤面(*^^*)しちゃいました。（ゲロ甘平気なはず(^^;の、この私が・爆）
ありがとうございます。