Ｏｎｌｙ　Ｍｉｎｅ'   -another world-
 

子供の頃から、夢を見るのが嫌だった。
確かに「自分のもの」と思える夢は、ほとんど無かったから。

だが…、「自分のもの」で、ないはずの夢のなかに、ただ一つだけ幸せな気持ちになるものがあった。
女の人…自分は会った憶えのない…でも懐かしく、心安らぐ…ひと。
夢の自分にとって、彼女とは、夫婦なのか、恋人なのか…、共に暮らし、子供をあやしたりしている。
自分でも、まるで将来を夢見る女の子の夢のようだな、とは思う。
だが、眠ることが嫌になるほど殺伐としてばかりいる夢…のなかで、その夢だけは救いだったのだ…。


初めて王都から外に出たあの日、夢に出て来た「あのひと」が、もうずっと昔に亡くなっていた事を知った。
「あなた…来てくれたのね…。…ずっと、待っていました…。」
彼女は俺でない誰かを見ていた。「あのひと」の「あなた」…それは俺でない別の「俺」…。彼女から渡された指輪が、いやにしっくりと自分の指に馴染んだのが……なにか嫌だった。


その頃から予感はあった。
自分は、本当の自分ではないのだと。
本当の自分は、きっと別の｢俺｣なのだと…。


そして俺は、「つくられた者」だった。
あの夢も、すべては造られた故のこと。
俺でない、「俺」の記憶…。


子供の頃から、夢を見るのが嫌だった。
確かに「自分のもの」と思える夢は、ほとんど無かったから。

所詮、あれも「自分のもの」ではない夢だった。
「俺」でない誰かのものだった。
確かに「自分のもの」だと思えるものが…、欲しかった。


決して「自分のもの」…が無い訳ではない。
義母…、捨て子で、しかも不吉な予言を受けた俺を、慈しみ育ててくれた…母として愛している。
義妹…、血の繋がりの無い俺を、ずっと兄として慕ってくれている…妹として愛している。
これらは確かに「自分のもの」である想い…だと思う。
でも、何かが…足りない気がしていた。ずっと「自分のもの」である別の何かが…欲しいと思っていた。それは、あの記憶がある故の願いだったのか…。



彼女…に出会った。共に戦った。

何故か…心惹かれた。

戦場で会った。敵として剣を交えた。

何故か…心が疼いた。

そして再び共に戦う。

何故か……側にいて欲しいと…想う。




夢を見る。
それが、何時の頃からか変わった……そう、「彼女」と出会ってから…。
夢の中の「あのひと」は…気がつくと、「彼女」になっている。そして、つかのまだけの幸せを味わう。
それは、自分だけの「夢」。
そして…自分には決して手に入らないものだと分かっている…夢。

俺は、いつのまにか彼女を……愛していた。

でも、自分にそんな資格が無い事は分かっていた。つくられた者…それは事実。そして俺は確実に…もうすぐ…死ぬのだから。



また、夢を見る。つかのまの幸せな夢…。
任務の報告中に倒れたのだと…思いだす。
身体も心も疲れきっていた…。もう…嫌だった。このまま…夢を見ていたかった。望んでも、手に入ることのない夢を…。
そのまま意識を沈めてしまう…、つもりだった。
「馬鹿！……お前は…どうして…」
自分を引き止める声。
「…いや、…馬鹿なのは私か…。お前を…愛してしまう…とはな…」
夢ではない…本当の「彼女」の声。
「…今だけ…、ただの女に戻って…お前を…想っても…いい…か…？」
泣いているのが分かった。彼女が…俺を…。
意識が戻る。片手に暖かいぬくもりを感じ、まだ自分は生きていると思う。…見ると彼女が俺の手を握り締めたまま、ベッドにもたれかかって眠っていた。
…まだ、…まだそれが許されるなら…俺はもう少し「彼女」の側にいたかった。



療養所…俺の真実を知った場所…の前で、…彼、本当の「俺」に再び会う。

「彼」が、つぶやいた。
「君は…やはり、私なのだな…。彼女は、シエラに良く似ている…。」
『彼女』というのが、ジュリアンのことだというのは直ぐに分かった。「彼」が言うのなら、たぶんそうなのだろう。…本当の「俺」が言うのならば。

だから、俺は彼女に惹かれたのだろうか…？
でも、彼女への想いは…この「俺」だけのもの…のはずだ。

俺に残りの命をゆずった為…、彼は逝く。
「シエラ…迎えに来てくれたのか？」
そう言う彼には、彼女が見えてるのだろう。だが、俺には、もう見えなかった。あのひと…あの「彼女」は、本当は、あの「彼」だけのものだから。

消え去った「彼」の痕跡をぼんやり見つめる。自分は「彼」と同じ…近いうちに、俺もああなるのだろう…と考える。
でも、この「俺」の彼女へのこの想いは、同じ…ではない、俺だけのものだと…思いたかった。


また、夢を見る。つかのまの幸せな夢…。
「おい。………おい、起きろ。」
目を開ける。目の前に彼女の顔があった。まだ夢の続きかと…思う。
「…」
片手を上げて、彼女の頭を引き寄せる。
「？…な…」
その唇を塞いだ…。
「……」
唇に触れる柔らな感触に、夢では無い事に気がつく。
ここは…、義母の研究所の屋上。建国記念の花火を見る為にここで待っていた…のだという事を、思い出す。
「…すまない。俺、今、寝ぼけてた…。」
顔を離した後、彼女から目をそらしてしまう。
「……いや…別に…いい。…それより、そろそろ時間だぞ。」
彼女はそれだけしか言わなかったが、その声は心なしか悲しく感じられた。

やがて花火が始まる。これが最後になるかもしれない光景…。でも俺は、花火より彼女を見ていたかった。

奇麗で愛しい…「自分」だけのひと。

「？……えっ、」
彼女を背中から抱きしめてしまう。
「ごめん。しばらくこのままでいさせてくれないか…。」
「………仕方ない奴…だな…。」
彼女はまたそう言っただけだった。さっきもそうだが、今日の彼女の態度はなにか不自然な気がする。
「？」
「なんだ？…今日だけ特別…ということにしといてやる。…それだけだ。」
やはり彼女らしくないように感じたが、それをあえて言う事は止めた。
「…ありがとう。」
花火の音が遠くなる。ずっとこうしていられれば…と思う。
「………なあ、…その…ひとつ聞いてもいいか…？」
しばらく黙っていた彼女が口を開いた。
「ああ…なんだ？」
「シエラ…さん…というのは…その、お前にとって…」
「！…」
「いや…、すまない。…その、お前が眠っている時に、…その名前を、口にしたから…」
苦笑するしかなかった、よりによって彼女の前で言ってしまうとは…。と同時に今までの彼女の様子に納得がいく。
「…療養所の前での事を覚えてるか？」
「ああ…。」
「彼…ベルガーがその名を呼んだのは？」
「ああ。私も聞いた。」
「彼女は、ベルガーが…いや、本当の「俺」が、愛した人だ。」
「おい！！お前な、自分をそういう風に言うんじゃ…」
「…分かってる。でも、俺が、「彼」から造られたのは…事実だ。その証拠に、そうして、彼の記憶が…想いが、俺の中に残っている。」
「…………ならお前も…、その人を…、愛してるのか？」
「……どうかな。」
そんな言い方は、本当はしたくなかった。俺が愛しているのは、君、だと言いたかった。だが、滅びゆく男に、どうしてそれが言えるだろう。
「…なあ、その…私では…駄目か？」
「え？」
彼女が身体を離し、こちらを向いて言葉を続ける。
「…その…、私は、女らしくもないし、きっと…シエラという人とは全然違うのだろうとは思うんだが…さっき、その人と、私を間違えただろ？…私では…その人のだな、…代わりには、ならないのか？」
「ジュリアン…。」
彼女はじっと自分を見詰めている。


滅び行く自分、代わりになるという彼女…。
死にゆく男に、すこしのわがままが許されるだろうか？
本当は間違えたのではない、夢見ていたのは…彼女が側に居てくれること。


「いや…、君は、代わりにはならない。」
一瞬、彼女が表情を変えたのが見えた気がしたが、直ぐに俯いたのではっきりとは分からない。長い前髪が垂れ彼女の顔を隠す。
「そう…か。……すまない。余計な事を言って…悪かった。」
その声は…かすかに震えていた。そのまま踵を返して去ろうとする彼女を…そのまま見送るべきだったのかもしれない。だが、気がつくと、その腕を掴んで引き止めていた。
「！！…何故…だ？」
「違う！君は…、代わりなんかじゃない。俺……今、ここに居る「俺」が…、」
そこまで言い、口を閉ざした。これは、言ってはいけない事だったのだと…思い出す。
「お前…」
「ごめん…。俺は…。」
彼女の腕を放し、目をそらす。沈黙…、花火の音が耳に戻ってくるのを感じだ。今、自分が何を言うべきなのか…言ってよいのか、分からなかった。
「私は…」
ジュリアンの方が先に口を開いた。
「お前を、愛している。」
「ジュリアン…」
彼女を見つめる。奇麗で愛しい…自分だけのひと。だが彼女に…それを言っては…言わせてはいけなかったのだ。
「俺は……、つくられた者…だ。あの、ベルガーという男の…ただのコピー…でしかない。」
「だから、そういう言い方はするな。お前は、私が、唯一認めた男なのだからな。それを否定することは…許さない。」
「それは…俺のこの力に対してだろ？ベルガーという男が持っていた技能と能力…それに、奴…ゲヴェルの要素が入ったことに因る…ひと為らざる…力。」
「…私が、お前の力の強さにだけ惹かれたと思っているのか？…私が…惹かれたのは、お前の…その…心の強さ…優しさ…。お前はいつも前向きで、私の心の迷いも断ち切ってくれた…。」
「…君は俺を買い被ってる。俺はそんなに強い人間じゃない。…ぁぁ、そもそも人間じゃなかったな…。」
思わず自虐的な言い方をしてしまい、彼女から再び目をそらしてしまう。
「馬鹿！」
引っ叩かれた。
「お前がなんであろうとも、そんなことは関係ない！お前は、お前だ。私が認め…そして私が…初めて愛した…」
「ジュリアン…。」
どうも彼女の前では弱音を吐いてしまう。王都から出て此の方、頼られる事の方が多くて…、誰にも言わずにいた。ずっと昔から、心の中にある不安が消えた事などなかったのに…。

そして、その不安は現実となって…今、自分を苛めている。
もう直ぐ消える…そして「ひと」ですらない自分、という事実。
…なのに…彼女を愛してしまった。
それは、決して告げてはいけない想い…、彼女を苦しめるだけの事…。
そんなことは、前から…分かっていた。


だけど…、
側にいて欲しかった。…最後の時まで。


再び彼女を抱きしめてしまう。
「！……ぁ…」
彼女は…少し驚いたようだったが、今度も拒みはしなかった。
「ジュリアン…、俺は…」
「？…」
「怖いんだ…。」
「…」
「分かってはいるんだ…、俺はただのコピーで、ひとでは無い者に造られた。奴が滅びた後まで、生きている権利なんか無い…。」
「おい、それは違…」
「と、理性では思う。でも、怖いんだ、死ぬのが。今までさんざん俺と同じ奴等を…この手で葬ってきたっていうのにな…。」
「違う！同じ奴…じゃないぞ。少なくとも私にとってはな。私が知っている…、私が、…その…惹かれたのは「お前」だ。今ここにいる…な。「お前」…だけだ。」
彼女がそう言い、背中を抱いて軽く叩いた。ふと、遠い昔、子供の頃のことを思い出す。そういえば、悲しい時に、こんな風に義母が背中をやさしく叩いてくれた。
「お前は、お前だろう？…他の誰でもない…な？」
心が安らぐ。この自分は…確かにただ一人の「自分」…俺なのだと思えた。…もしかすると、誰かに…｢自分だけ」の彼女に、そう言って欲しかったのかもしれない。
「なあ…甘えても…いいか？」
彼女の耳元で言う。
「え？……何を…」
返事を聞く前に、その肩に頭をもたせかける。彼女はそれ以上、何も言わなかった。
「俺が…いつか俺が、彼…ベルガーの様に溶ける時が来ても…こうして君は側にいてくれるかい？」
彼女が一瞬、微かに震える。
「馬鹿…、そんな事は…」
「だから、いつか…だ。最後の時まで、こうして君を抱きしめていてもいいか？」
残り僅かの最後のときまで…彼女を独占する事ぐらい、許されてもいいだろう？…などと虫がいい事を考えている自分は、すごく甘えている…わがままと思う。だが、でないと不安で押しつぶされそうだった。
「………ああ。」
背中に回された彼女の腕に力が入る。
「私が…こうしていて…やる。」
「ありがとう。」
なにか安心する。彼女に抱かれて逝くのなら…怖くはないだろう。
「だが…」
「？」
「…嫌…だ。」
彼女が泣いている事に気がつく。
「ジュリアン…？」
「私を置いて、ひとり逝ったり…するな…。お前は…私が初めて愛した男だ…。男として生きていくはずだった私を、女に戻してしまった…責任を…取れ。勝手に死ぬなんて…許さない。お前がいなくなったら…私は…」
その言葉が胸に刺さる。今まで、自分のことだけを考えていた。不安なのは自分だけではなかったのに…、それを忘れてしまうほど…怖かったのだ。
「ジュリアン…」
自分が顔を上げると、彼女の方が下を向く。
「嫌だ…絶対に、生きて……」
伏せた顔から涙が零れた。その頭を、肩に抱き寄せる。約束する事は出来ない。何も言う事も出来ない。今はただ、彼女を抱きしめる事しか出来ない。

ただ、生きたい…と思った。


俺だけの…心安らぐ…ひと。
腕の中の彼女、それは夢ではない、確かなもの。
生きているが故に、触れることのできる、確かなもの。
自分が自分だと、信じられるもの。

唯一の「自分のもの」である夢。


子供の頃から、夢を見るのが嫌だった。
確かに「自分のもの」と思える夢は、ほとんど無かったから。

けど、彼女だけは…、確かに「自分のもの」…だと思える、
…俺だけの…夢。

夢を見た。つかのまの幸せな夢…。
「俺」がそれを望んでもいいのなら…
手に入れてもいいのなら…


もし、生きる事が許されるなら…


いつか…





夢を見た…ような気がした。
「こら、そろそろ起きろ…。」
「…」
「…おい！」
目を開く、すぐ前には、彼女の顔。前にもこんなことがあった…と思う。でも、あの時とは違う…微笑んだ彼女。
「…ジュリアン…なんで？」
「また、寝ぼけてるのか？全く…毎度寝起きの悪い奴だな。」
ジュリアンがそう言って笑う。いつもと違い女物の服に身を包んだ彼女。降ろした銀の髪が揺れ、日の光に透けて輝く。奇麗で愛しい…自分だけのひと…が、側にいる。いつか見た幸せな夢…のような光景に、ふと不安になる。
片手を上げて彼女の頬にそっと…触れた。
「…どうした？」
「夢…じゃないよな？」
ぺち☆
「ぃてっ」
…叩かれた。
「…あたりまえだ。」
彼女がそう言いながら、俺の手を握りしめる。
「私はここに居る。…そしてお前もな。」
包まれた手の確かな感触に…安心を覚えた。
そうして初めて辺りを見渡す。ここは…自分の領地内の公園…だった。自分は、恋人…ジュリアンと休暇を過ごしていたのだと…思い出す。
「もうすぐ開演の時刻だぞ。そろそろ劇場の方へ行かないか？」
「あ、…そっか。うーん…でもなあ」
「なんだ？」
「こうして君に、ずっと膝枕をしていてもらうのも悪くないな…って。」
彼女の頬が染まる。日頃はあんなに凛々しいのに、こうやってからかうと可愛らしい…とか言ったら、またきっと叩かれるのだろうけど。
「でもまあ、それは、また今度やってもらうとして…行こうか。今日までなんだろ。終戦一周年記念の舞台っていうのは。」
立ち上がり、並んで歩き出しながら、何故だがいやに嬉しそうに見える彼女の様子が気になった。
「なんだ…？なにか良い事でもあったのか？」
「あっ…いや…その…なんでもない。」
彼女が再び頬をかすかに染める。
「なんだよ。気になるじゃないか。」
「…なあ、その…さっき…眠っている間、何か夢を見てたか？」
「え？なんか、見てたかもしれないけど…」
「良い夢だったか？」
「…忘れた。けど起きたとき、いい気分だったからね、良かったんじゃないか？」
「それなら、いい。」
「はあ？」
彼女はひとりで納得して嬉しそうにしている。
「ほら、遅れるといけないだろ？行くぞ。」
そう言って彼女が自分の手を取り引っ張る、その楽しそうな声、手に感じるぬくもりに、確かに夢でない事を…再び実感する。
「…ああ。」



あの戦いの後も、俺は生きるとこを許され…
もう、「自分のもの」でない夢を見る事は…、無くなっていた。

                       　　　　　　　　　　　　　　　　−ＥＮＤ−