2000-5-25
重ねても、重ならないもの |
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…どうしても、言えない言葉があった…。 でも …どうしても、欲しいものがあった…。 彼女が泣いているのが分かった。 彼女の言葉も聞こえた。 「……あなたを想う娘でいさせて下さい。」 「ひと」でもない自分、 もうすぐ消える自分、 だから、 決して望んではいけないと分かっていた。 それが彼女を苦しめるだろう事も分かっていた。 でも、どうしても欲しかったのだ。 彼女が… 夜中、まだ夜明けには間がある頃、目が覚める。倒れた後、ずっと眠っていたせいか、ずいぶん身体は楽になった。外は暗かったが、テーブルの上の小さい明かりが、部屋をわずかに照らしている。 ジュリアンはベッドの横の椅子にもたれかかるように眠っていた。まだ身体は重かったが、起き上がってベッドに腰掛ける。 その気配に気が付いたのか、ジュリアンが目を覚まし、ほっとしたような表情を見せる。 「マイ＝ロード？もう起きても宜しいのですか？御気分はいかがでしょうか。」 「ああ、だいぶ眠ったからね。大丈夫。…ずっと付いていてくれたのか？」 「はい…、いえでも、私も、休ませて頂いてましたから。」 椅子で眠ることが、果たして休んだと言えるのか疑問だったが、彼女の厚意に甘える事とする。 「ありがとう。もういいから、君も戻ってちゃんと休んだ方がいい。」 本音としては違っていたが、彼女に無理をさせる訳にはいかないと思った。 「いいえ、もう少し…おります。…何か欲しいものはありませんか？お倒れになってから、お食事もなさってませんし…。」 「…欲しいもの？」 彼女にとっては、何の気も無く言った言葉だったのだろうが、それが、自分の心の奥底にあったものを開けてしまう。 「はい。」 そう言って見つめる澄んだ瞳。嫌でも自分の目に入ってくる。…濡れた唇。銀に輝く髪。胸元から覗く肌。そのすべてが危険…だった。 …どうしても、欲しいものがあった…。 「マイ=ロード？まだお加減がすぐれませんか？横になられてた方が…」 ジュリアンが心配そうに声を掛けてくるが、その言葉は意識に入って来ない。考えているのは…ただ一つの事。 「…君。」 「え？」 なにかに取り付かれたように、思いが言葉になって、そのまま出てしまう。 「君が…欲しい。」 「マイ＝ロード…！？」 ジュリアンは、最初、何を言っているのか分からなかった。しかし、彼の瞳を見たとき…理解した。かつて、これに近い瞳を見た事がある。彼の義妹…ルイセがグローシュを抜かれてしまった時だ。あの時の彼も憔悴しきって、その瞳には深い悲しみの色があった。だが、今の彼の瞳には…、悲しみだけでなく、怖れ、焦り、そして…自分には分からない何か、があるように感じた。 そして、今、彼が、望むものは…。 …どうしても、欲しいものがあった…。 騎士として剣を取る彼女は、強く、凛々しい。 その中に、何より女らしい心があるのを知っている。 そして、その中にあるもうひとつのものも、…知りたかった。 「服を脱いで…欲しい。」 「……」 そこまで言ってしまって、初めて理性が働く。酷いとこをしていると思った。『マイ＝ロード』と呼ぶようになった時から、ジュリアンは、自分の言う事には絶対逆らわない。それを知っていて、…言った。 自分に嫌気がさして、何かを振り払うように首を振る。 「ごめん。俺は…、どうかしている。忘れてくれ。」 まだ、かっこをつける理性は残っていたらしい。 「ありがとう。もう俺は本当に大丈夫だから、君も戻って休んでくれ。」 そう言いながら彼女から目をそらす。今、言ってしまった事を彼女はどう思っただろう。もう長くない命でも、それまで彼女にだけは嫌われたくなかった。我ながら情けないと思った。自分はこの世界の行く末より、彼女に嫌われる事を怖れている。 この人は、…怖いのだろうか？もうすぐ命が尽きるかもしれない事が…。 そう考えてしまい、ジュリアンは脅える。彼が徐々に弱って来ていたことには、気づいていた。だが、考えたくなかったのだ。彼がこの世界から消えてしまうという事など…。だが現実には…、彼は、すっかり衰弱していて、今日ついに倒れてしまった。 …きっと、時間はもうあまり残っていない。 彼にも…、そして自分にも…。 そして、自分は彼に忠誠を誓った…。 もしそれが、一時でも、彼の心の慰めになるのであれば… 静寂のあと、彼女が動く気配がした。部屋を出ていくのだろうと思う。だが、次に感じたのは…衣擦れの音。 「……！！」 身体がこわばって動かなくなる。視線を元に戻すのが怖かった。 「マイ＝ロード…」 震えるジュリアンの声で、呪縛が解ける。 彼女が一糸纏わぬ姿で立っていた。紅潮した頬…。恥ずかしいのか両腕は、組むようにして胸を隠している。 「…ジュリアン」 「あの…、それが…、あなたのお望みなのでしたら、私は…」 吸い寄せられた様に彼女から目を離す事ができなかった。 「腕を…放して」 「……」 組んでいた腕をゆっくりと降ろす。握り締めた手が震えていた。 奇麗だ、と思った。 まだふらつく身体で立ち上がり、彼女に近づく。 「マイ＝ロード、まだお身体が…」 こんな状況でも、彼女は自分をまだ気遣ってくれる。よろけたところを彼女に支えられ、そのまま抱きしめてしまう。 「俺は…君が…ずっと…」 震えている彼女、わずかに残る理性が、その続きを口にするのをためらわせる。 彼に抱きしめられる。 それも、ずっと欲しかったこと。 たとえ、それが一時の衝動でも、この人に… 抱きしめて欲しかった。 彼がそれを望むなら、自分のすべき事は…決まっていた。 腕の中の彼女が、まだ震える声で言う。 「マイ＝ロード…、私で宜しければ…、その…、おなぐさめ…いたします。」 「…ジュリアン？」 さすがにその言葉には驚いた。 「私は、あなたに従うと…誓いました。」 そう言いながら身体を放し、自分を見詰める。その瞳には迷いなど見えない。 彼女を抱き上げ、ついさっきまで自分が眠っていた場所へ運ぶ。 「マイ＝ロード…でも、お身体は大丈夫なのですか？」 「君を見たら元気になった。」 彼女の頬が赤く染まり、自分から目をそらした。 「さわっても…いいか？」 肯定の言葉が返ってくるのは分かっていたが、一応聞いた。 「…はい。」 彼女は恥ずかしさからか、さっきから視線を外したままだ。 滑らかな肌、震えている身体…こわれないようにそっと触れてみる。 だが、その肌は傷ひとつない…とは言えなかった。騎士として最前線で戦って来た彼女には、まだ戦場で受けた傷痕が、僅かだが残っていて痛々しかった。 その中には、覚えのあるものもあった。ランザックでの戦いで…自分が彼女と剣を交えた時のものだ。 「ごめん…、これは…、俺が傷つけてしまったんだな。」 「いいえ、あの時、あなたが、巧みに急所を外して戦って下さったことには気が付いていました。でも、私は…」 「分かってる。それに君だって、俺に本気で挑んでなかっただろ？」 「……」 あの時にはすでに、彼を…。 あの時の事を思えば、今は…幸せなはずだ。 彼の手のぬくもりを…肌に感じる事が出来る。 たとえ、彼の心が…自分にないと分かっていても…。 「…あまり…見ないで下さい。あの、怪我の跡とかもありますし…。その…、奇麗ではないと思いますので。 」 「いや、奇麗だよ。君は…。きっと誰よりも。」 言いながら、赤い筋として残る肩口の傷痕に口付け、そのまま舌を滑らす。 …どうしても、欲しいものがあった…。 だけど、彼女には未来がある。 自分には…、無い。 ここまで来てしまったが、まだ自分を引き止める心があった。そんな迷いを知ってか知らずか、ジュリアンが口を開く。 「マイ＝ロード、なぜ……私を……」 「……」 答えることは、できなかった。 「申し訳…ありません。過ぎたことを…伺いました…。」 切れ切れに発せられる彼女の言葉…その問いの意味するところは分かっていた。 「…すまない。」 自分を見詰めていた彼女が、顔と視線を背けて言った。 「………いいえ、それで…充分です。」 自分の己惚れを…心の中で笑った。 彼に、ふさわしくない事は、自分がいちばん良く知っていたのに…。 彼に、その答えを求めてはいけないと、分かっていたのに…。 それでも…、本当は…言って欲しい言葉があった。 嘘でも良かったから…、それが欲しかった。 …分かってはいたのだが、欲しかったのだ。 それなら…、せめて、今、自分に許されるものを…。 彼女は、黙ったまま考えていた様子だったが、やがてこちらを向く。その瞳に光るものが見えたように思ったのは、気のせいだったのか…。 「マイ＝ロード、失礼します。」 そう言うと、腕をまわして自分の身体を引き寄せた。 「…ジュリアン？」 「私は……、すべて…あなたの…御心のままに。」 豊かな銀髪が頬にあたる。かすかな吐息が耳にかかる。滑らかな肌が唇に触れ、柔らかな胸が身体に押しつけられた。この誘惑に耐える事は…無理だった。 …どうしても、言えない言葉があった…。 でも …どうしても、欲しいものがあった…。 彼女の中に、身体を沈める…。 …どうしても、欲しい言葉があった…。 でも …それは、求めてはいけなかった…。 身体の中に彼、を感じた…。
身体を重ねても…、心は重ならない……。
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