Ambivalence ―　罠　―

それが罠だと知っていながら…、掛かる生き物など、いるはずはないのだが…
Ambivalence ―　罠　―
コムスプリングス…観光と療養…そして高級別荘地としても知られる街。彼…ローランディアの騎士「ラルク」…と、私は、お互いに休暇がとれた時には、大概はこの街で、会っていた。ここで初めて「彼」と会った時は、敵同士だった。そして今は、…私達のこの関係は… なんなのだろうか…？いつも待ち合わせる場所で、私はこうして彼を待っている…。だいたいは彼のほうが早く来て待っている事が多いのだが…、今日は珍しくまだ来ていない。ちなみに自分は、(当然だか)いつものナイツ服ではなく、女物の服を纏っている。以前は、彼と出会った時のような男物を着てることも多かったのだが…どうもここでは、それは妙に目立つことだと分かったので、どうにも落ち着かないのだが、しかたなく着ている。なぜが男の姿で彼と並ぶと、余計に目立ってしまうらしい。（…でも理由は、それだけではないな。）苦笑する。ひとつは、この姿なら、自分がインペリアル・ナイトのジュリアン・ダグラスだと気づく者は、まずいないと言うこと。自分たちの関係を知る者は少ないし…あまりおおっぴらに知られるのはまずい…と思う。そしてもうひとつは… （……！）下ろした銀の髪が風に靡く。そよ吹く風に乗り…感じた気配。顔を向けるとやはり、彼が走ってくるのが見えた。「そんなに…慌てて来なくてもいいぞ。」「だって、君に会うんだからね。」そう言う事を、表情を変えずに平気で言う。彼は相変らずだった。そして私は…いつもと同じ事を聞く。「……身体は、もうなんともないか？」「ああ、平気だよ。今は、息切れてるけど…」そう言って笑みを見せる。といっても、ごく親しい者にしか分からないごく僅かな表情の違いなのだが。「そうか…、ならいい。」彼の身に、再びあんな事態が起こる事はない…と思ってはいるものの、毎回確認せずにはいられなかった。…あの日から…ずっと。「…着てきてくれたんだな。やっぱり似合う。」「ぁ…ああ、そう…か？」これがもうひとつの理由だった。今、自分が身に纏っているのは彼の選んだ物。（…私は…何をこんなに気にしているのだ？）彼に気に入られる…彼に誉めてもらう事を嬉しく感じてしまう。自分でも馬鹿馬鹿しくなるくらい些細な事にも、心が揺さぶられる。そんな私の考えを知らない彼が、更に続ける。「うん。君は何を着ても綺麗だけど。」思わす赤面する。彼はまたも全く照れる風でもなく、それを言うのだった。「お、お前は…、あ…相変らずだ…な。」「うーん…俺は自分の着るものには興味無いからな…。まずいか？」「いや、そうではなくて…」「ん？…あっ、レストランの予約を取ってあったんだ。とりあえず先に行かないか？意味を取り違えたまま、彼は私の手をとった。「あ、ああ…そうだな。」共に歩きながら思う。…女の姿で、男に手をとられて歩く…そんな事を、喜ぶ気持ちがある自分が存在する…など、以前の私なら考えられない事だと。あの戦いが終わった後、互いの居場所…他国の騎士同士…に、私も彼も帰っていった。それでも、互いの任務が空いたときは、会っている。今日は…戦いが終わってから…何回目かの逢瀬。こういうのを、世間では友人というのか… でも、二人の関係は違う。彼と会うとき…いつも、どうしても確かめたい事がある…。だから、誘う。…女として。初めてのときは、ただ一度だけのことだと信じて、自分から誘った。その時手に入れられる唯一の物…ほんの一時でも…幸せだった。憶えているのは、重ねた肌の彼のぬくもり。ただ…、この時が続けばいいと思った。２度目は、彼の求めに応じた。弱った冷たい躰…直ぐにも来るかもしれない終わりの時に…怯えた。『ジュリア…すまない』彼がそう言った時の恐怖は、今でも心の奥に影を落としたまま消える事はない。今日も…私は…、彼を誘う。「ラルク……、その…」「ん…なんだい？」なんの疑いもなく真っ直ぐ見てくる瞳…私は何故か、それを後ろめたく感じている。（それは偽っているから…でも、何を？）「ジュリア？」私は、自分で自分が、分からなくなっている…。分かるのは、ただ彼を…確かめたいと思っているという事。「その…部屋を取ってあるんだが…」彼が、ほんの少し困惑した表情をする。「それは…えーと、いつもの意味にとっていいのかな…？」「…お前な…またそれを私に言わせるのか？」「悪かった…でも…君は…」「なんだ？」「いや…いい。行こうか。」肩を抱く腕には確かな温もりある、さっき取られた手も温かかった。それだけで、なぜ私は満足しないのだろうか？そして私は…この男の前だけの…ただの女になる。インペリアル・ナイト、有事には将軍でもある…バーンシュタインの騎士…それが私。なのに今は、一切のものを纏わず、女としてすべてを彼に曝す…。騎士である自分…、こんな姿を曝している自分…、どちらも、私。「別に、恥ずかしがる事ないぞ。」彼が耳元でささやいた。「な、何を…」そう言って顔を背けても、頬が…いや…躰のすべてが火照っているのが分かる。「違うのか？…そう言う顔してたけど。」彼の吐息を感じたと思ったら、その唇は首筋から胸へと滑る。「あっ……、ん」「大丈夫、その君の声も…この姿も…知ってるのは俺だけだ…。そうだろ？」そのささやきも、一瞬心地よく感じてしまう。「そういう問題ではない！私は……ぁ」とっさにそう答えたものの、その言葉は終わらないうちに彼の唇で閉ざされた。深い口付け…割って入ってくる舌、初めてされた時こそ戸惑ったものの、今はそれに応える方法も憶えてしまっている…。力が抜けていき、甘美な痺れが躰を捕える。（！…）唇を捕らえたまま彼が、空いている手で胸をも捕らえる。撫で上げられ、優しく包まれ、先端を刺激され…、その心地よさに声が漏れてしまう。」「んっ………ぁ」やがて彼は唇を解放して、自分の顔を見つめる。（？…）微かに笑みを浮かべ言った。「その顔もね…」一気に顔が紅潮するのが分かった。「お前、なにを言い…、！……ぁ」言いかけた言葉は、再び襲う快感に続ける事が出来なくなる。たった今、彼の手に捕えられていた胸は、その唇と舌に弄ばれる。ぼんやりする意識で、彼の言う『その顔』…自分はどんな表情をしていたのだろうと考える。 …快楽に溺れている顔なのだろうか…？「ジュリア…、何を考えている？」彼が、躰を起こし問いかけてきた。「別に…何を考えようと…いいだろ？」まさか今考えていた事を言うのは憚られ、顔を背けてそう答えた。「そうはいかないよ、俺の腕の中で別の男のことを考えられたら…」「！」その言葉に…一瞬のうちに頭がはっきりする。気が付くと手を上げていた。ピシッ。彼の頬が見る間に赤く染まる。「私が、そんな女だと思っているのか！？」「ごめん、悪い冗談だな…でも、本当のところ不安はある。」「？……お前がか？」意外だった。こういう時…ベッドの中…では、私は彼にされるがまま…、彼に支配されているようなものなのに。…いや、正確には、彼が与えてくれるもの…安心と悦び、そして快楽…に、私が捕らわれている…。「君は…こんなに綺麗で…魅力的で…、そんな君を皆が知ったら…」「この姿を知っているのは『俺だけだ』と、たった今、お前は、自分で言っただろう？」「ん…そうだとは思ってるけど…、そうなのか？」「当たり前の事を聞くな…馬鹿。」「馬鹿は無いだろう…」「馬鹿だから、馬鹿と言ったんだ。」「…どーせ馬鹿だよ。」彼がいじけた。ときどき、こうしていやに子供っぽい態度をとる…それも愛おしく感じてしまう自分も…馬鹿だ。なんとなく手を伸ばし、彼の黒髪に触れると、それはさらさらと私の指をすり抜ける。…捕まえられなくて…まるで、彼そのもの。「…ジュリア……」彼が、私の胸に顔を埋めてきた。「…あ、甘えるな、馬鹿！」「どーせ馬鹿だから♪」ほんとに馬鹿だな…『私』が。…なぞと思いながら、それでも彼の頭を抱きしめる。今だけは…彼を捕まえられてると言えるのだろうか…？自分はそんなことを嬉しく感じている…。「ジュリア…、君は…」そのままの体勢で、彼がさっきとは違う…静かな口調で話し掛けて来た。「…なんだ？」「俺のものだよ…な」その言葉に、わずかに迷いを感じたのは、私の気のせいだったのか…。「なぜ、そんなことを聞く？…お前はどう考えているんだ？」「言っても…怒らないか？」「怒るようなことなのか？」彼は、かすかに苦笑したようだった。そう見えただけかもしれないが。「たぶん…」「怒らないから…言ってみろ。」彼がゆっくりと話し出す。「俺のものにしたいよ…。君の心も…躰も。君のなにもかも…ね。」何を今更…と思った。「だったら…もうしてるだろう？」「…だと…いいね。」「？…」どういう事だ…？と、問い返す前に彼のほうが答えを出した。「もし、してるとしても…それは今だけだろ？」「…」そうだ…自分も…彼も分かっている。自分たちには、互いに地位も、立場も、任務も…それぞれ守らなければならない…ものも…ある。それは譲れない。「今だけでは、不満か？」「…まあね。本当は…ずっと俺だけのものにしたいから…それに…」彼が言いよどむ。「なんだ？」「いや…いい。やっぱりやめておくよ。」言いかけてやめる奴があるか、などと言いつつ自分も、それ以上は追及しなかった。何故なら…これを突き詰めると…辿り着くところはきっと…。いつか来るだろう時…それは…まだ考えたくない。「…ジュリア」彼が身体を沈めたと思ったら、いきなり私の脚を掴み、腰ごと上げさせられる。「！…な、何を…」足を広げられ、あっという間に彼の目の前に露にされる…私自身。彼のそんな行為にまで、ろくに抵抗もしなくなったのは、何時の頃からか…。分かるはずのない…彼の視線を自身に感じた。羞恥…それに反して、躰は彼の次の行為を求めて熱くなるのが…自分で分かる。「馬鹿…、あまり見るな…」「大丈夫、俺だけだから…」彼は、言い終わると同時に顔を埋める。「また…そんな事を…あっ……」はっきりしていたはずの頭は、再び躰をはしる別の快感に、なにも考えられなくなる。柔らかくて冷たい物が、何度も躰の中心で蠢く。やがてそれが自身の中に入ってくるのが分かった。「…ぁ……ん」彼の舌は…まるで、それ自体が生き物のように私の中を動き回り、感じやすい部分を狙って刺激してくる。そして、自分の中から引き出されてくる淫らで甘い疼きが…私を虜にさせる。啜る様にわざと高く立てられた水音が、私を昂揚させた。彼は…知っているのだ…私が悦ぶ事を…。「ん…ぁ……あぅ！」強く吸われ、躰を反らして嬌声を上げてしまう。それでも…、まだ躰の疼きは収まってはいない…。「ジュリア」「……なん…だ？」「で、さっきは何を考えていた？」唇を放した彼が聞いてくる。「…私…は」刺激を失った躰は確かなものを求め、我知らず身をよじる。「…！あ…ぅ」彼がそれに応じるように、今度は指で…私自身を弄びだす。「君は？」微妙な動きで私を攻めながら、再度彼が問う。「ぁ……どんな…顔を…していたのかと…思…って」「ああ…、なんだ…」うなずいて答える。「いい顔だよ…。誰にも見せたくない…。」そうささやきながら、私を弄ぶ指がさらに深く入ってくる。「いや…見せない。絶対。」「あぁ！……――んぁっ……」彼が呟くような声で言ったのを、混濁する意識がかすかに聞いた。「…これは…使えるな…」彼が身体を重ねてきた。いつも通りのその重みと温もりは、私を安心させる。「ジュリア…愛している。」その言葉が…いつも始まり。私は…知っている…。これからされる事を。「ん……ぁ」躰を開き、彼を受け入れる。それも…もう何度目だっただろうか？「私…も」「君も？」「あ…いして…いる。」「ジュリア…」この時はいつも、自分の躰すべてが、彼に捕らわれているように感じる…でもそれを、自分は嫌だと思っていない…それどころか…むしろ、心地よく感じている。初めての時は…ただ夢中で。２度目の時は…怯えていた。そして、最近は…違う…何か違うものが、躰の奥で疼く。 …自分が変わって行くのに…私は気が付いている。肌を滑る彼の指…唇の感触…躰はそれを憶えてしまった。そして、彼自身の熱さ…それを受けいれる悦びを…この躰は知ってしまった。優しく撫でられ…、深く口付けられ…、強く貫かれて…、躰は彼に与えられる甘い快感に酔いしれ、溺れていく。そして、今日も私は、彼の腕の中で高みに上り詰める…。表に出ると…日差しがいやに眩しく感じられた。「今度は、何時会える？」その言葉をどんな思いで語っているのかは…表情のあまり見えないその顔からは自分には分からない。「また、休みが取れたら連絡する…。」「ああ、待ってる。」今度は笑みを見せて言った「…だがお前の方も、任務が忙しいのではないか？」「まあ、そうだけど…、君に会う為なら、いくらでも都合をつくるよ。」彼は、恥ずかしげもなくそう口にする。「またそう言う事を…、どうしてお前は平気で言えるんだ…。」「そう言う事って？…なんか変な事言ったか？」「……いや、なんでもない。」この辺については、言うだけ無駄だということを憶えた。彼は…平気なのだ…そう言う言葉も…。自分には出来ない事…。おそらく心に正直に言葉を出しているだけなのだろう。なのに…自分には見えない。彼が… 「どうした？急に黙って…」「あ、いや、なんでもない…。」「？」思わずさっきと同じ言葉を繰り返してしまい、彼の不信を誘ってしまった。慌てて言葉を繋ぐ。「じゃあ、またな。」そういい、身体を回した瞬間、引き戻された。「なっ…」彼が、腕…剣技同様、ずいぶん力も強くなった…を、私の腰に回して自分に引き寄せていた。「お、おい、…なんのつもりだ？」「恋人同士の別れなんだから…もう少し雰囲気だしてもいいだろ？」「……誰が恋人同士だ！…ぁ」すばやい動作で、彼の唇が再び自分の唇を捕える。ベッドの中でのそれとは違う、柔らかく優しい…口付け。このまま、彼にすべてを委ねてしまえたら… 「このまま、君を俺のもとへ連れて帰りたいけど…」「…それは…無理だな。」顔を反らし、そう答えながら…彼の腕を解く。「……そうだね。君は…」後の言葉は、風にまぎれてはっきり聞き取れなかった。はたして彼が本当にそう呟いたのかも分からない…が… 『俺のものじゃない…』音にならない言葉が、なぜが聞こえた気がした。そうだ…。私は彼のもの…ではない。彼も私のもの…ではない。…今は…もう。互いが互いのものだと確かに感じられるのは、…躰を重ねている時だけ。 …でも、私は… そんなことを考えつつ彼に視線をもどす。彼はただ…自分を見つめていた。その瞳に、今自分の考えていた事が見ぬかれていたような気がして、再び言葉を…別れの言葉を紡ぐ。「…じゃあな。」「ああ…また。」今度は引き止められることもなく、彼は軽く手を上げ、背を向けた。しばらく歩いてから、振り返った。…もう遠くなっている、彼の後姿を目で追う。（……っ！）まただ…、と思う。以前の自分にはなかった想い。彼を逢瀬を重ねるうちに…いつもまにか浮かぶようになったこの想い。なぜ、彼と別れるとき、こんなに不安に襲われるのか…？分からない…。この不安の意味…そして…彼も。自分には…見えない。彼の心が…見えないのだ。『愛している』その言葉が嘘ではないのを知っている。だが、彼がなにを求めているのか分からない。そして…、分からないのは、彼の事だけではない自分でも分からない…私は何を求めている？私は彼のものではない…でも… （捕らわれている…）戦争は終わって…平和になって… 彼も生きていて… こんなに幸せなことはないはずだ… なのに自分は、理由も分からぬまま…心に不安を抱えている。それが忘れられるのは… 任務に打ちこんでる時と… そして…、 …彼と共にいる時… そして…最も安心するのは… ……彼の腕の中… 女として…彼を愛せる事を幸せに思う。女として…彼に愛される事を幸せに思う。心も…躰も…。自分はこんなにも、女だったのか…。彼に抱かれ…、捕えられ…、私は…違う私に変わっていく…。これは…罠。このままでは…きっといつか自分は、彼が居なければ、生きていくことすら出来なくなってしまうような…そんな気がする。それが分かっていても…自ら嵌ってしまう甘美な…罠。ここから…もう抜け出すことは…出来ない。知っているのに…、嵌っていく愚かな生き物が…ここに…

それが罠だと知っていながら…、掛かる生き物など、いるはずはないのだが…

Ambivalence ―　罠　―

コムスプリングス…観光と療養…そして高級別荘地としても知られる街。

彼…ローランディアの騎士「ラルク」…と、私は、お互いに休暇がとれた時には、大概はこの街で、会っていた。
ここで初めて「彼」と会った時は、敵同士だった。そして今は、…私達のこの関係は…

なんなのだろうか…？

いつも待ち合わせる場所で、私はこうして彼を待っている…。だいたいは彼のほうが早く来て待っている事が多いのだが…、今日は珍しくまだ来ていない。ちなみに自分は、(当然だか)いつものナイツ服ではなく、女物の服を纏っている。以前は、彼と出会った時のような男物を着てることも多かったのだが…どうもここでは、それは妙に目立つことだと分かったので、どうにも落ち着かないのだが、しかたなく着ている。なぜが男の姿で彼と並ぶと、余計に目立ってしまうらしい。
（…でも理由は、それだけではないな。）
苦笑する。
ひとつは、この姿なら、自分がインペリアル・ナイトのジュリアン・ダグラスだと気づく者は、まずいないと言うこと。自分たちの関係を知る者は少ないし…あまりおおっぴらに知られるのはまずい…と思う。
そしてもうひとつは…
（……！）
下ろした銀の髪が風に靡く。そよ吹く風に乗り…感じた気配。顔を向けるとやはり、彼が走ってくるのが見えた。

「そんなに…慌てて来なくてもいいぞ。」
「だって、君に会うんだからね。」
そう言う事を、表情を変えずに平気で言う。彼は相変らずだった。
そして私は…いつもと同じ事を聞く。
「……身体は、もうなんともないか？」
「ああ、平気だよ。今は、息切れてるけど…」
そう言って笑みを見せる。といっても、ごく親しい者にしか分からないごく僅かな表情の違いなのだが。
「そうか…、ならいい。」
彼の身に、再びあんな事態が起こる事はない…と思ってはいるものの、毎回確認せずにはいられなかった。…あの日から…ずっと。
「…着てきてくれたんだな。やっぱり似合う。」
「ぁ…ああ、そう…か？」
これがもうひとつの理由だった。今、自分が身に纏っているのは彼の選んだ物。
（…私は…何をこんなに気にしているのだ？）
彼に気に入られる…彼に誉めてもらう事を嬉しく感じてしまう。自分でも馬鹿馬鹿しくなるくらい些細な事にも、心が揺さぶられる。
そんな私の考えを知らない彼が、更に続ける。
「うん。君は何を着ても綺麗だけど。」
思わす赤面する。彼はまたも全く照れる風でもなく、それを言うのだった。
「お、お前は…、あ…相変らずだ…な。」
「うーん…俺は自分の着るものには興味無いからな…。まずいか？」
「いや、そうではなくて…」
「ん？…あっ、レストランの予約を取ってあったんだ。とりあえず先に行かないか？
意味を取り違えたまま、彼は私の手をとった。
「あ、ああ…そうだな。」
共に歩きながら思う。…女の姿で、男に手をとられて歩く…そんな事を、喜ぶ気持ちがある自分が存在する…など、以前の私なら考えられない事だと。

あの戦いが終わった後、互いの居場所…他国の騎士同士…に、私も彼も帰っていった。

それでも、互いの任務が空いたときは、会っている。
今日は…戦いが終わってから…何回目かの逢瀬。

こういうのを、世間では友人というのか…
でも、二人の関係は違う。
彼と会うとき…いつも、どうしても確かめたい事がある…。
だから、誘う。…女として。

初めてのときは、ただ一度だけのことだと信じて、自分から誘った。
その時手に入れられる唯一の物…ほんの一時でも…幸せだった。
憶えているのは、重ねた肌の彼のぬくもり。
ただ…、この時が続けばいいと思った。

２度目は、彼の求めに応じた。
弱った冷たい躰…直ぐにも来るかもしれない終わりの時に…怯えた。
『ジュリア…すまない』彼がそう言った時の恐怖は、今でも心の奥に影を落としたまま消える事はない。

今日も…私は…、彼を誘う。
「ラルク……、その…」
「ん…なんだい？」
なんの疑いもなく真っ直ぐ見てくる瞳…私は何故か、それを後ろめたく感じている。
（それは偽っているから…でも、何を？）
「ジュリア？」
私は、自分で自分が、分からなくなっている…。分かるのは、ただ彼を…確かめたいと思っているという事。
「その…部屋を取ってあるんだが…」
彼が、ほんの少し困惑した表情をする。
「それは…えーと、いつもの意味にとっていいのかな…？」
「…お前な…またそれを私に言わせるのか？」
「悪かった…でも…君は…」
「なんだ？」
「いや…いい。行こうか。」
肩を抱く腕には確かな温もりある、さっき取られた手も温かかった。それだけで、なぜ私は満足しないのだろうか？

そして私は…この男の前だけの…ただの女になる。

インペリアル・ナイト、有事には将軍でもある…バーンシュタインの騎士…それが私。
なのに今は、一切のものを纏わず、女としてすべてを彼に曝す…。
騎士である自分…、こんな姿を曝している自分…、どちらも、私。

「別に、恥ずかしがる事ないぞ。」
彼が耳元でささやいた。
「な、何を…」
そう言って顔を背けても、頬が…いや…躰のすべてが火照っているのが分かる。
「違うのか？…そう言う顔してたけど。」
彼の吐息を感じたと思ったら、その唇は首筋から胸へと滑る。
「あっ……、ん」
「大丈夫、その君の声も…この姿も…知ってるのは俺だけだ…。そうだろ？」
そのささやきも、一瞬心地よく感じてしまう。
「そういう問題ではない！私は……ぁ」
とっさにそう答えたものの、その言葉は終わらないうちに彼の唇で閉ざされた。
深い口付け…割って入ってくる舌、初めてされた時こそ戸惑ったものの、今はそれに応える方法も憶えてしまっている…。

力が抜けていき、甘美な痺れが躰を捕える。
（！…）
唇を捕らえたまま彼が、空いている手で胸をも捕らえる。撫で上げられ、優しく包まれ、先端を刺激され…、その心地よさに声が漏れてしまう。」
「んっ………ぁ」
やがて彼は唇を解放して、自分の顔を見つめる。
（？…）
微かに笑みを浮かべ言った。
「その顔もね…」
一気に顔が紅潮するのが分かった。
「お前、なにを言い…、！……ぁ」
言いかけた言葉は、再び襲う快感に続ける事が出来なくなる。たった今、彼の手に捕えられていた胸は、その唇と舌に弄ばれる。

ぼんやりする意識で、彼の言う『その顔』…自分はどんな表情をしていたのだろうと考える。
…快楽に溺れている顔なのだろうか…？

「ジュリア…、何を考えている？」
彼が、躰を起こし問いかけてきた。
「別に…何を考えようと…いいだろ？」
まさか今考えていた事を言うのは憚られ、顔を背けてそう答えた。
「そうはいかないよ、俺の腕の中で別の男のことを考えられたら…」
「！」
その言葉に…一瞬のうちに頭がはっきりする。気が付くと手を上げていた。

ピシッ。

彼の頬が見る間に赤く染まる。
「私が、そんな女だと思っているのか！？」
「ごめん、悪い冗談だな…でも、本当のところ不安はある。」
「？……お前がか？」
意外だった。こういう時…ベッドの中…では、私は彼にされるがまま…、彼に支配されているようなものなのに。…いや、正確には、彼が与えてくれるもの…安心と悦び、そして快楽…に、私が捕らわれている…。
「君は…こんなに綺麗で…魅力的で…、そんな君を皆が知ったら…」
「この姿を知っているのは『俺だけだ』と、たった今、お前は、自分で言っただろう？」
「ん…そうだとは思ってるけど…、そうなのか？」
「当たり前の事を聞くな…馬鹿。」
「馬鹿は無いだろう…」
「馬鹿だから、馬鹿と言ったんだ。」
「…どーせ馬鹿だよ。」
彼がいじけた。ときどき、こうしていやに子供っぽい態度をとる…それも愛おしく感じてしまう自分も…馬鹿だ。
なんとなく手を伸ばし、彼の黒髪に触れると、それはさらさらと私の指をすり抜ける。…捕まえられなくて…まるで、彼そのもの。
「…ジュリア……」
彼が、私の胸に顔を埋めてきた。
「…あ、甘えるな、馬鹿！」
「どーせ馬鹿だから♪」
ほんとに馬鹿だな…『私』が。…なぞと思いながら、それでも彼の頭を抱きしめる。今だけは…彼を捕まえられてると言えるのだろうか…？自分はそんなことを嬉しく感じている…。
「ジュリア…、君は…」
そのままの体勢で、彼がさっきとは違う…静かな口調で話し掛けて来た。
「…なんだ？」
「俺のものだよ…な」
その言葉に、わずかに迷いを感じたのは、私の気のせいだったのか…。
「なぜ、そんなことを聞く？…お前はどう考えているんだ？」
「言っても…怒らないか？」
「怒るようなことなのか？」
彼は、かすかに苦笑したようだった。そう見えただけかもしれないが。
「たぶん…」
「怒らないから…言ってみろ。」
彼がゆっくりと話し出す。
「俺のものにしたいよ…。君の心も…躰も。君のなにもかも…ね。」
何を今更…と思った。
「だったら…もうしてるだろう？」
「…だと…いいね。」
「？…」
どういう事だ…？と、問い返す前に彼のほうが答えを出した。
「もし、してるとしても…それは今だけだろ？」
「…」
そうだ…自分も…彼も分かっている。自分たちには、互いに地位も、立場も、任務も…それぞれ守らなければならない…ものも…ある。それは譲れない。
「今だけでは、不満か？」
「…まあね。本当は…ずっと俺だけのものにしたいから…それに…」
彼が言いよどむ。
「なんだ？」
「いや…いい。やっぱりやめておくよ。」
言いかけてやめる奴があるか、などと言いつつ自分も、それ以上は追及しなかった。何故なら…これを突き詰めると…辿り着くところはきっと…。
いつか来るだろう時…それは…まだ考えたくない。

「…ジュリア」
彼が身体を沈めたと思ったら、いきなり私の脚を掴み、腰ごと上げさせられる。
「！…な、何を…」
足を広げられ、あっという間に彼の目の前に露にされる…私自身。彼のそんな行為にまで、ろくに抵抗もしなくなったのは、何時の頃からか…。
分かるはずのない…彼の視線を自身に感じた。羞恥…それに反して、躰は彼の次の行為を求めて熱くなるのが…自分で分かる。
「馬鹿…、あまり見るな…」
「大丈夫、俺だけだから…」
彼は、言い終わると同時に顔を埋める。
「また…そんな事を…あっ……」
はっきりしていたはずの頭は、再び躰をはしる別の快感に、なにも考えられなくなる。
柔らかくて冷たい物が、何度も躰の中心で蠢く。やがてそれが自身の中に入ってくるのが分かった。
「…ぁ……ん」
彼の舌は…まるで、それ自体が生き物のように私の中を動き回り、感じやすい部分を狙って刺激してくる。そして、自分の中から引き出されてくる淫らで甘い疼きが…私を虜にさせる。
啜る様にわざと高く立てられた水音が、私を昂揚させた。彼は…知っているのだ…私が悦ぶ事を…。
「ん…ぁ……あぅ！」
強く吸われ、躰を反らして嬌声を上げてしまう。それでも…、まだ躰の疼きは収まってはいない…。
「ジュリア」
「……なん…だ？」
「で、さっきは何を考えていた？」
唇を放した彼が聞いてくる。
「…私…は」
刺激を失った躰は確かなものを求め、我知らず身をよじる。
「…！あ…ぅ」
彼がそれに応じるように、今度は指で…私自身を弄びだす。
「君は？」
微妙な動きで私を攻めながら、再度彼が問う。
「ぁ……どんな…顔を…していたのかと…思…って」
「ああ…、なんだ…」
うなずいて答える。
「いい顔だよ…。誰にも見せたくない…。」
そうささやきながら、私を弄ぶ指がさらに深く入ってくる。
「いや…見せない。絶対。」
「あぁ！……――んぁっ……」
彼が呟くような声で言ったのを、混濁する意識がかすかに聞いた。
「…これは…使えるな…」

彼が身体を重ねてきた。いつも通りのその重みと温もりは、私を安心させる。
「ジュリア…愛している。」
その言葉が…いつも始まり。私は…知っている…。これからされる事を。
「ん……ぁ」
躰を開き、彼を受け入れる。それも…もう何度目だっただろうか？
「私…も」
「君も？」
「あ…いして…いる。」
「ジュリア…」
この時はいつも、自分の躰すべてが、彼に捕らわれているように感じる…でもそれを、自分は嫌だと思っていない…それどころか…むしろ、心地よく感じている。

初めての時は…ただ夢中で。
２度目の時は…怯えていた。
そして、最近は…違う…何か違うものが、躰の奥で疼く。

…自分が変わって行くのに…私は気が付いている。

肌を滑る彼の指…唇の感触…躰はそれを憶えてしまった。
そして、彼自身の熱さ…それを受けいれる悦びを…この躰は知ってしまった。

優しく撫でられ…、深く口付けられ…、強く貫かれて…、躰は彼に与えられる甘い快感に酔いしれ、溺れていく。
そして、今日も私は、彼の腕の中で高みに上り詰める…。

表に出ると…日差しがいやに眩しく感じられた。
「今度は、何時会える？」
その言葉をどんな思いで語っているのかは…表情のあまり見えないその顔からは自分には分からない。
「また、休みが取れたら連絡する…。」
「ああ、待ってる。」
今度は笑みを見せて言った
「…だがお前の方も、任務が忙しいのではないか？」
「まあ、そうだけど…、君に会う為なら、いくらでも都合をつくるよ。」
彼は、恥ずかしげもなくそう口にする。
「またそう言う事を…、どうしてお前は平気で言えるんだ…。」
「そう言う事って？…なんか変な事言ったか？」
「……いや、なんでもない。」
この辺については、言うだけ無駄だということを憶えた。
彼は…平気なのだ…そう言う言葉も…。
自分には出来ない事…。
おそらく心に正直に言葉を出しているだけなのだろう。

なのに…自分には見えない。
彼が…

「どうした？急に黙って…」
「あ、いや、なんでもない…。」
「？」
思わずさっきと同じ言葉を繰り返してしまい、彼の不信を誘ってしまった。慌てて言葉を繋ぐ。
「じゃあ、またな。」
そういい、身体を回した瞬間、引き戻された。
「なっ…」
彼が、腕…剣技同様、ずいぶん力も強くなった…を、私の腰に回して自分に引き寄せていた。
「お、おい、…なんのつもりだ？」
「恋人同士の別れなんだから…もう少し雰囲気だしてもいいだろ？」
「……誰が恋人同士だ！…ぁ」
すばやい動作で、彼の唇が再び自分の唇を捕える。
ベッドの中でのそれとは違う、柔らかく優しい…口付け。
このまま、彼にすべてを委ねてしまえたら…
「このまま、君を俺のもとへ連れて帰りたいけど…」
「…それは…無理だな。」
顔を反らし、そう答えながら…彼の腕を解く。
「……そうだね。君は…」
後の言葉は、風にまぎれてはっきり聞き取れなかった。はたして彼が本当にそう呟いたのかも分からない…が…
『俺のものじゃない…』
音にならない言葉が、なぜが聞こえた気がした。

そうだ…。私は彼のもの…ではない。彼も私のもの…ではない。…今は…もう。
互いが互いのものだと確かに感じられるのは、…躰を重ねている時だけ。
…でも、私は…

そんなことを考えつつ彼に視線をもどす。彼はただ…自分を見つめていた。その瞳に、今自分の考えていた事が見ぬかれていたような気がして、再び言葉を…別れの言葉を紡ぐ。
「…じゃあな。」
「ああ…また。」
今度は引き止められることもなく、彼は軽く手を上げ、背を向けた。

しばらく歩いてから、振り返った。…もう遠くなっている、彼の後姿を目で追う。
（……っ！）
まただ…、と思う。
以前の自分にはなかった想い。
彼を逢瀬を重ねるうちに…いつもまにか浮かぶようになったこの想い。
なぜ、彼と別れるとき、こんなに不安に襲われるのか…？

分からない…。
この不安の意味…そして…彼も。

自分には…見えない。
彼の心が…見えないのだ。

『愛している』

その言葉が嘘ではないのを知っている。

だが、彼がなにを求めているのか分からない。

そして…、分からないのは、彼の事だけではない
自分でも分からない…私は何を求めている？

私は彼のものではない…でも…
（捕らわれている…）

戦争は終わって…平和になって…
彼も生きていて…
こんなに幸せなことはないはずだ…
なのに自分は、理由も分からぬまま…心に不安を抱えている。

それが忘れられるのは…
任務に打ちこんでる時と…
そして…、
…彼と共にいる時…

そして…最も安心するのは…
……彼の腕の中…

女として…彼を愛せる事を幸せに思う。
女として…彼に愛される事を幸せに思う。
心も…躰も…。

自分はこんなにも、女だったのか…。
彼に抱かれ…、捕えられ…、私は…違う私に変わっていく…。

これは…罠。
このままでは…きっといつか自分は、彼が居なければ、生きていくことすら出来なくなってしまうような…そんな気がする。
それが分かっていても…自ら嵌ってしまう甘美な…罠。
ここから…もう抜け出すことは…出来ない。

知っているのに…、嵌っていく愚かな生き物が…ここに…